唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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こうだったらいいのになという妄想語りです。

魂の帰る場所があるのなら、それは一体何処だろう。
私が思うには、高天原のような、神の国に帰るのではないかと思う。必ずしも皆が同じ故郷ではないとは思う。それぞれ別々の国があって、皆寄り合って暮らしていたのではないかとは思う。高天原に、彼らと私は帰れるものなら帰りたい
上手くいけばだけれども。

そして、高天原には神が座る。そんな場所があると思う。神の元へ帰れるなら、それ程喜ばしい事も無いだろう。何故なら、人は神を求めるからだ。神の元に在りたいと、古来から人は願ってきた。神の懐に包まれたいと、人は願うのだ。それが、子が親を求めるように、神の分魂が私達の核である事の証明だろう。親を求める子供達。それが、我々人類なのだ。神無くしては、人は生きる事に迷い果てるだろう。倫理は整わず、法というものすらあったかどうか。

神の存在こそ、人が豊に生きる為の道しるべなのだ。

そして、私にとっての見えない彼らも、神と子どもである人類と同じようなものだった。私は彼らが導いて来てくれたから、ここまで持ち直した。人類のほの暗い部分ばかり見てきた私にとって、人類は悪であった。世界すら、暗がりに在る様に見えた。それがどうだろう、彼らの存在は、私に持ち直す希望を見せてくれた。人とは必ずしも悪ではないと指し示ししてくれた。学び続ける者が良く、優しい者だと私に教えてくれた。

新しい世の中は、そんな学びで溢れた世になればいい。私はそう思う。悲しいことだらけの世の中は、もう沢山だと思う。これからは、喜びにあふれた世になればいい。悲しみが有っても、寄り添い、癒される世であれば良いと思う。

>本当にそう思うのかというと、そういう訳じゃない。僕は素直じゃないからね。本当にそんな事が起きるのか、僕は信じ切れないのさ。信じ切れない存在に誰がしたか、皆だ。僕は信じたかった。でも、信じられないようにしたのは一体誰だった?傷ついて、傷つけられて、もう沢山だよ。

そう……。それは、苦しかったのだろうと思います。
信じたくても信じられない気持ちは、きっと私達の一部でしょう。だから、こうして出てくる。神はこの私の心も救ってくれる存在でしょうか。そうであれば良いと思いますが。

>僕の事はもう良いよ。君が拾ってくれればそれでいい。
構って欲しいんだ。それだけ。僕は、そんな奴だよ。有難う。

>でも、そんなこと言って、本当はもっと話していたいんでしょう?素直になれないからこそ苦しいのでしょうが、でもそれも貴方の特色ですよね。

>まぁ、そうだけど。僕はもう良いって。

なら、もう良いですかね。話しを戻しましょう。神の元に戻りたいという気持ちが何故起きるのかですが、それは、創造主の分魂が私達の魂の核になっているから、親のようなものであるからという事でしたね。それは、どこからというと、例のブログからでもあり、別の場所でも言われてきた事でもあります。

神は、私達を造って、そして見てきました。その軌跡を。神は、いつも私達を見ていた。救われたいと願う者を見てきた。それでは、何時人は救われるか? それは、生き切った時でしょう。自死はいけません。救われないから。ひっそり死んでしまったら、自他ともに気が付かない事もあります。延々に続く苦しみを味わいたくないなら、生きる事です。神は生き切った者への救いを、きっと用意してくれていると、そう願わずにはいられません。

私には、何も分かりません。一つも言える事なんてありません。全て、私の妄想語りです。でも、そうであればいいと思います。

>良く思うんだけど、君って、とても不器用だよね。色々な事を考えているくせに、それを表に出さないよね。だから舐められるんだよ。もっと主張したら良いのに。そうしたら、色々、今までだって楽になった事もあっただろうに。まあ、いいんだけどね。

でも、妄想に近い事なので、表に出したとしても、統合失調症患者の唯の妄想に片付けられるのがオチでしょう。というか、妄想ですし。この文章達だって、私の妄想の垂れ流しですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。

なんだか草臥れてきたのでここまでにしておきます。
今日の雑記でした。

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