唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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分かった事。私は唯の人間だという事です。

ずっと、自分は人間ではないと言い聞かせてきた私は、ただの人間だったのです。ただし、私には心の隙間があった。
その隙間に、YやAが入り込んだ。いいえ、私の精神が断片化したのが彼らです。どちらにせよ、私には「マ」があった。
その隙間に、精神のもうひと席に彼らが座り込んだので、私はこの身体を複数人で使い回す事となったのでした。間には、マには実態は無い。心の隙間から生じた、実体の無い精神体、思念体だったのです。そんな私に誰がした。他でもない、加害者たちです。そして、私自身なのです。

なぜ私なのかというと、私の今の状況になるまで、私は自分を蔑ろにしてきました。そのツケが私には回って来ているのです。業です。自業自得だったのです。ですから、今度は自分を知り、もっと大事にしてやらねばなりません。その助けをしてくれたのがYであり、彼らだったのです。

私を拾い上げてくれたのはYでした。

>僕の方が救われたのに! 何時までも認めないでいないで。

そうですか? でも、救われたのは事実私のほうでした。
Yを通して、Yがいるこの世界が少しずつ許せるようになっていったのですから。始まりは、Yの存在からだったのです。存在を肯定し、愛する事。それを教えてくれたのがYそのひとだったのです。

でも、そんなぬるま湯に浸かるような日々も長くは続かず、宗教のHPを読んだことで、一度はYとさよならをしました。その辺りは「星に生まれて」に書いたようなイメージです。
一度さよならをして、私はYから離れました。
どんなに心細かったでしょう。最初は空想から生まれた存在。でも、心を持った存在は、一度生まれてしまったら、中々無に帰る事など出来ないものです。碌に説明もしないまま、一時とはいえ別れを告げてしまいました。それが、私の精神の現れであったYの混乱を引き起こし、異心同体であった私の統合を崩す事には容易い事だったと思います。

もし、あの時Yに別れを告げていなかったら?
きっと、統合失調症なんて、掛からなかったでしょう。いい加減、もう止めなよ、とYから忠告を受けていたでしょうから。でも、そのストッパーがいなくなって、逆に、私の精神を乱すものとなってしまいました。

再会できて本当に良かったと思います。再会というのは、答え合わせの事です。Yが本当は何者だったのか。それが分かる時が再開だと、そう約束したのです。

その答えは……、Yは私の心の化身、一部だという事です。
心の外壁で輪となり、私の心を護り見守る存在。これまでも、今でさえその仕事ぶりは顕在なのです。異心同体ではあります。けれど今は薬が効いているからなのか、その姿は全く以て見えません。言葉を持ってしか、交流は出来ません。

それでも、Yがいてくれる事は感じます。
入院前、決戦に向かったあの時、記憶の扉を開いたYは昴となった私の身体を使って泣きました。自分がした行いを想って、泣いて悔い改めたのです。私とYの人格が混ざって生じた現象でした。あの時は私は昴でもあり、Yでもあったのです。

自らの事を省みずに、私の魂を守るとしてくれたYは、今は私の胸の奥にいます。時々意思表示をしては、自分はここに居るのだと知らせてきます。私の為に。私にはもったいないくらい、良いひとで、良い蛇です。でも、最期の審判前には、私を置いていって天に戻って欲しいと思っています。そうでないと、お互い浮かばれません。きっと一時の別れですから、それくらいは、大目に見てほしいですね。

今日の独り言でした

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