唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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私が入院している間も、もうお役御免だと、死んでもいいよと言ってくる存在が臨んでいました。彼は、地獄の官僚だと名乗りました。執念が凄く、私は意図せず死に向かっていた時が度々ありました。でもこれ、地獄の官僚なら、借り物の命を無駄にするな、くらいは言ってくるのが通常ではないでしょうか。
だから、きっともっと違う存在だと思っています。

もしくは、私の精神を反映した存在なのではと。私はもう入院前に「もうお役御免だ。あの世にお帰り」というような言葉を幾つも貰っています。その言葉はきっと、自分自身で終わりを望んでいるから出た言葉なのだと思います。この言葉は、私の妄想幻覚の根本にある概念です。それに合わせた幻覚ばかりが現れてきたので、何となくそうだと思われます。

そして、その言葉は「もういいかい」やら「もう良いんじゃない?」と姿を変えて、今でも私に降りかかっています。
本心を言うなら、もう楽になってしまいたいのですが、そういう訳にもいきません。命は自分だけのモノではないと思っているからです。命は永続的に続いていくモノだからです。たとえ人間の身でこれ以上喰われる存在ではなくても、塵になって、星にその身体を返上するのです。生きる為には必ず他の犠牲が必要になります。

だから、一応全て断ってはいます。
肯定したからといって何がある訳でもないのでしょうが。
それで楽になれたら苦労はないでしょう。

入院前でも、私の元に来たAや思念の兄さん、はたまた思念の父さんも私をあの世へ渡そうと色々試しました。
夜間、寝所ごとエレベーターにして下って昇ってをしてみたり、日中布団にもぐっていればガスが発火して寝ている間に死ぬだとか、呪文を唱えたり、誰かに首を落とさせたり。他にも色々。
でもそのどれもが妄想で、受動的な死に方だった為、別に死ぬ危機は何もありませんでした。何度もトライ、トライでした。
まぁ、結局失敗して、私はピンピンしている訳ですが。色々頑張ってくれたので、そこは感謝したいです。たとえ何もかもが妄想だったとしてもです。

私という人は、結構怠惰です。
生きる事にそこまで積極的になれなかった人です。
そうなったのはやはり過去、犯罪被害者になったからでしょう。
幼い私は死に、その後にぽっかりと隙間が空きました。そこから自分の精神が剥がれかかり、私は何も思えなくなっていったのです。
でも、そんな事は関係ないとばかりに時は過ぎます。
その結果が今です。そのどの時でさえ、私は自分を愛せませんでした。もっと自分を大事にすればよかったのにです。
自分を大事にするとは、自分の人生を大事にするという事です。決して、自分勝手を許す事ではありません。人間としての自分の尊厳を守り、善良な存在でいられるように学び続ける事です。

その点、善良な存在ではありましたが、私は自分の人生に無責任だったのです。親に言われるまま、この道にいけば収入は安定するな、学費も安いし、という軽い打算で専門学校へと進みました。さて、その結果ですが、当然のように上手くいきませんでした。
自分の都合しかない理由では、とても厳しくて、ついてはいけませんでした。人の中にいると精神がすり減る私には、通学だけでも一苦労でした。それが実習ともなれば余計にで、家に帰る頃には気力も体力もゼロになり、自宅学習がどうしても手に付きませんでした。そんな事では当然やってはいけませんでした。

一つ良かった事はというと、カウンセラーの先生に会えた事でしょうか。私に解離の症状があると指摘してくれたのがこの先生でした。それまで、私はそんな言葉も、自分が変わっているねと言われる意味も知りませんでした。そこから、自分の内側を探求する日々が始まりました。思い出したくない事も思い出しましけれど、自分への理解が深まっていくと、救われた心地になるのでした。

けれど、それでも私の調子は相変わらずでした。
自分の人生に前向きになれたのは、入院して治療を受けてからです。きっと、ずっと以前から精神をやられていたのだと思います。
Yがずっと傍に居た事も、自分の自己救済人格としての働きだったのでしょう。いえ、良心神を取り囲み私の守護をする用心棒の役割なのかもしれませんけれど。彼がいたから、私は辛うじて生きようと思ってやってきました。

そのあたりはもう以前に述べたので省略しますが、彼らの存在は、私に安らぎを与えてくれます。つかの間の、和みなのです。

今日の独り言でした。

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