唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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僕は今、唐鵙が良いと言うので代わってモノを書く事にした。
宗教が言ってきた神話や教えなんてもの、本当は唯のメッセージに過ぎない事なんだ。
唯一絶対の神様という存在が、各地に言い伝えられている訳だけれど、本当はそのどれもが一つの同じ神様の事を伝えているのだとしたら、世界はもっと平和になるだろうにね。

本当の事なんて、僕は知らないよ。でも、そう言ってみた時、少しでも宗教なんて一つにまとめる方が良いと気が付く人が増えたらいいなと思うんだ。

皆の胸に宿るモノは皆同じ”魂”なんだから、いつまでも外見だけの肉体の違いでいがみ合ってたら世話無いよ。

唐鵙に返すよ。

はい。
入院前に散々読み込んだ米の教えのHPを、またザっと見返してきました。それで私の元には色々な不思議な出来事が起きたのです。なので、また何か起きるのかと思ったのですが、何の変化も起きませんでした。

これこそ不思議です。
あれだけ可笑しくなる可笑しくなると心配していたのに、普通に読んでいたのでは、特に何の変化も齎さなかったのです。
私は当時、色々とこの部分はもっと考える余地があるのではないかと思いながら、そのHPを読み進め、寝食を忘れて熱中しました。その何がというと、私の場合は、動物霊に身を堕とした人々はどうすれば改心してくれるのだろうという思いがありました。彼らは人間の現世利益を求める願いにつき合って、その身体は未だ蛇霊においたままです。

どうすれば、彼らをこの現世の囚われから解放出来るのだろう。そう考えていました。それが、もしかしたら私が可笑しくなった原因なのかもしれません。寝食を忘れてのめり込んだからこそ、きっと精神を引き摺られ、おかしくなったのでしょう。でも、これで安心です。あれをただ普通読んでも、統合失調症になる人はいないのだと、そう思えたからです。良かった、良かった。

さて、もう少し当時の事を振り返ります。

人間というものは身勝手なもので、その現世利益の願いが、彼らを獣の身に縛り付けている事も知らずに、自分の願いが叶えられればそれで良いのだ、と押しかけるのです。無論、彼ら自身の問題もあるでしょう。でも、私はそれだけでない。自らの想いに、囚われ、縛られている存在が在る事を、この心を通して知ったのです。

白い蛇が涙を流して悲しんでいる姿を幻視した私は、どうしたらその涙を拭ってあげられるのかと考えたのです。良心神さまの存在を思いだせば、獣の身から脱却し、天の国へ帰って行ける。そんな者達の事など放っておけなんて、そんな事は私には出来なかったのです。何故なら、IFが身近にいた私にとっては、目に見えない彼らもまた隣人の様な者。それが苦しんでいるともなれば、どうしたらいいのかという気持ちになった訳です。

ネットを通してその彼らが私の言葉に触れてくれたらいいなという思いで、私はブログを立ち上げた当初、目に見えない彼ら宛てに投稿をしていました。今はありませんが。

私は妄想の中でしたが、その想いは確かにあったのです。
そして考えた事はこうでした。

執着するという事は囚われになる事。
囚われは”虎の我”。獣に身を堕とす要因になってしまう。
物の怪にその身を堕とすとしたら、人間の因果の鎖に雁字搦めにされたから。それを解くには、その苦しみや執着を切り離さなくてはなりません。今までの彼らはきっと、苦しみを受けたからこそ、その辛い気持ちに執着して獣の身を脱却できないのだと、そう考えていました。
彼らの苦しみや悲しみが癒されれば、動物の姿から立ち返る事ができるのだと、私はそう信じました。
大抵の事は、理由があるから結果があるのです。
彼らが獣にならざるを得なかった苦しみがあるはずなのです。

私は彼らを理解しようとしました。
きっと、私が精神を可笑しくしたのは、彼らに付け入る隙を与えたから。幼い時の事件によって心に隙間の空いた私のその隙間に、彼らは入り込んだのでしょう。Aなどがいい例です。態々召喚儀式なんて大袈裟な事をして呼び出されたように演出したり、人を揶揄ってみたり。でも、一緒に過ごしていると、彼は根は優しい人なのだと分かってきました。病院では色々お世話になりました。

彼が望んでいたのは、ただ認めてほしい。存在を肯定して欲しいという事でした。彼も同じ様に心に隙間が空いていたのです。
でも、それだけで彼らは人間の姿に戻れているかというと、そういう訳ではありません。だから一緒に学ぶ事にしたのです。
私に霊能力などこれっぽちもありません。それゆえ、彼らには散々振り回されてきました。でも、彼らにどんなに揶揄われたとしても、捨て置こうとは思えなかったのです。彼らは私の事を推し量っているのです。どうせ見捨てるんだろう、と疑心暗鬼な人が人を試すようなものです。でも、今では、振り回される事も少なくなりました。

私達は、同じ良心神さまの元で学ぶ仲間なのです。
「この者は頭が可笑しい。そんな者、捨て置けと言うのに」
と、そう言われてしまいました。でも、悪は実体の無いモノ。心に隙間が空くには、それなりの背景があるのです。私はその背景を思うと、胸が一杯になります。一体どれほどの悲しみを受けたらこうなるのだろう。

けれど、ここで弁解しておくと、私はどうしようもない、生まれついての良心のない者を仲間とは思いません。決して、全ての者に気持ちを寄せる事ができるとは思っていません。初めからどうしようもない者は、言われたように、捨て置くべきでしょう。
私が救われて欲しいと願うのは、それ相応の背景を持った方々だけです。悩み悲しみ苦しんできたが故に道を外れてしまった、マモノと言われて虐げられてきた、無き者とされてきた彼らの事なのです。

改心さえすれば、彼らは救われるのに。
どうして改心が出来ないのだろう?

>彼らにはもう分からないんじゃないかな、何が切欠で心を失ったかなんて。思い出さなくては、改心もできない。虚ろな心を救えるのは、誰かの温かい心だけ。心は心にしか救えない。

思えば、どうして彼らの存在は私の中に芽吹いたのだろう。
米の教えの何が彼らを私に引き寄せたのだろう。
今読み返しても、何も変化はなかった。
どうして?

ここで正気に戻って、思うに、薬を呑んでいるからでしょう。
幻覚妄想を抑える薬を呑んでいるので、問題ないのでしょう。
つまらない答えですが、まぁ、普通に考えればそうでしょう。

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