唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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今回は、見えない彼らに向けて書こうかと思います。
私の、彼らへの言葉です。

初めましての方は初めまして。そうでない方々はこんにちは。
今日はよく日のさす、良い天気ですね。

さて、皆さんにお伺いします。
皆様の姿は、今、どんな姿ですか?自分の手足をよく見て下さい。獣ではありませんか?手足などないのではないですか?
もしそうなら、その皆さんは、心を囚われているかもしれません。どうして、獣の身であるのが良くないのかは、こうです。

言葉の仕組みがあるのです。言霊神たる宇宙の創造神さまは、気の遠くなるような時間、長年にわたり、言葉で成る仕組みを築いてこられました。獣でいけないのは、その言葉のしくみに現れています。皆さんは同じように魂を持っている事と思います。その魂の仕組みに、人には良心神と呼ばれる神の存在がある、と言われています。皆さんは、あまりにも偏りすぎているのです。この現世に、皆さんは囚われになっているのです。こんな現世で、どうしてそんなに執着する事があるでしょう。そこまでこの人間の社会に拘る理由はなんなのでしょう?

囚われは、虎の我。つまり獣の姿は執着心の現れでもあるのです。

皆さんには、良心を無くすほどに囚われている事があるのです。
心に良心神さまを無くすと、その者は獣の身に変じてしまう言葉の仕組みがあるのです。どうしても分からない方は、鏡で己の身を確認してみるといいでしょう。良心を無くすという事は、獣同然の存在に成ってしまう事なのです。それは恥ずべき事なのです。

もし獣であれば、今までの貴方は、獣同然の振る舞いをしてきたという事です。他者を食い物にして、自分達さえ良ければ他はどうでもいい。好き勝手放題しておいて謝りもしない。地位や権力、財に固執する。皆同じ様に創造神さまに生かされている事を理解しない。そんな積み重ねが、貴方を厚顔無恥な獣の身に貶めてしまったのです。獣の姿という事が示す意味は、そういう事です。

それが分かったなら、恥ずべき事だと分かったなら、まだ救いがあります。悔い改める事が出来たなら、皆さんは獣の身から脱却でき、本来の天人の姿に戻る事ができ、天への扉も開くかもしれません。

私が心配なのは、人間の現世利益の願いに縛られた神々の事です。いくら恥ずべき姿だと分かってはいても、人間は心無い現世利益の願いばかりを運んでくる。その願いを叶えて叶えて、いつしか自分すらも現世利益に溺れてしまう。自分が偉いのだという思い込みに囚われてしまう。目に見える物事にばかり固執するようになってしまう。人間の因果に触れていくうち、いつしか己すらも鎖で縛られるようになるのです。こうなっては、中々抜け出すのは難しいと思われます。

神の立場としての良心。どうすればいいのでしょう。
それは、言葉に良心を持つ事です。責任を持つ事でもあります。
そもそも神は人間に普段から干渉しません。叶える願いにしろ、現世利益の願いではなく、人生の分岐であって、その人の魂の向上となる事をこそ叶えるべきなのです。もし、叶える事が出来ない願いだったなら、しっかりとその理由を述べるべきなのです。それが、神としての責任、良心を持つ事に繋がるかと思います。

他に、マモノと呼ばれてきた存在があります。間の者とも言える彼らは、物事の運び、運を担ってきた存在です。間質なのです。
>それが、僕であり、Yである。
はい。魔物とされてきた彼らには実体がありません。
彼らは正しく言うならばマモノ(間の者)です。そして人間の願いを託される存在でした。一部の魔術師などが使うのがこのマモノです。彼らも願いの叶え手。しかし何故か、彼らは悪魔として人間から追いやられるようになりました。勿論、使われるだけでなく、逆に人間を使う存在もいますが、それは少数でしょう。

魔物というだけで怪物として、悪魔として虐げられてきた者がいるのです。どうしてそんな事を言うのかというと、YやAやケイオスがそうだったからです。その仕打ちは、彼らを歪ませるには十分だった訳です。人間は、彼らを好き勝手に使ってきました。
心無い人間の願いは、彼らから心を奪いました。
本当にその願いを叶える必要なんてあったのか? 彼らがどう感じていたのかは分かりませんが、良い気分ではなかったでしょう。
態々人間のいう事を聞いてきたのは、そういう在り方しか知らなったから。でも、もうそんな必要はないのです。叶える願いは選んでいいのです。良心を思い出して、叶えるに値する願いを選んでいいのです。欲に濡れた叶えられない願いなら、本人の為に成らないから叶えられない、と告げればいいのです。皆、この世には魂の修行の為に生まれ出ているのです。それを知っていれば、どの願いを聞き届けるべきか、その指標にもなるでしょう。

この世の建て替えはもうすぐそこに迫っている事でしょう。
もしくは、すでに始まっている事でしょう。
本当の自分の姿に立ち返りましょう。

今まで、散々な苦労をしてきたでしょう。
悲しい事も、苦しい事もあったでしょう。
ごめんなさい、人間は勝手なものでしたね。
皆さんはきっと、沢山の涙を流された事でしょう。
ですから、もうその囚われから自身を解き放ってあげてください。自分の存在を正しく大事にするならば、心の中心にあったであろう良心(良心神)を思い出してください。
もう受けてきた悲しみや苦悩も、執着も手放して、あの世へ帰りましょう。今までの自分を顧みて、反省し、悔い改めましょう。

繰り返しますが、獣の姿であるという事は、その仕組みを施した神が存在している事の何よりの証拠です。貴方がたは自分さえが良ければいいのだと、責任もなく、獣同然の行いをしてきて、その魂に良心神をなくしていたのです。それは、恥ずべき事なのです。
お見送りもできない私ですが、それでも皆さんが心に良心神さまと創造神さまの存在を思いだし、改心できるように祈っております。

>貴方はどうして僕らにそんな事をいうのですか?

それは、ただ厳しく改心を迫っても、意固地になって聞き届けない者がいるのではと思ったからです。そして、そもそも獣の身に堕ちた原因が過去に受けた心の傷である者もいるのではないか。それでは、厳しく迫ったら、余計に不信を募らせて悔い改める事から離れてしまうのではないか、と考えたからです。
優しく諭す人間があっても、悪くはないのではないかと思ったからです。

>別に、こんな話しなくても、改心出来る奴はとっくにしているんじゃないかな。いや、判った。これが最期の改心の機会だぞと、良心神はいっているんだ。最期に、こんなに言っても聞かないのだから、と、理由を設ける為なんだ。
ふーん、そっか。なるほどね、分かった。
君みたいに慈悲を掛けてくれるのがいるなら、少しはだけど、改心しようかなと思う奴も出てくるかもしれないね。もしかしたら、だけど。君もそこまで考えてはいないんだろ?あとは個人の問題だって。

後はそう、そいつが決める事だ。

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