唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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私にこんな声が臨みました。

”私はもう人間には微笑まない。
好きに生きるがいい。そして勝手に滅ぶがいい。”

またもや、ある種の幻聴です。妄想幻覚とも言えますが。
折角なのでそのまま載せてみます。

それで神ではなく、マモノでしょうが、どうしてこんな事を言うのでしょう。それは、今まで私達が目に見えない存在にしてきた事が問題なのでしょう。魔物だからと、勝手な正義を振りかざし傷つけてきた事や、虐げてきた事が祟っての事でしょうか。

”私はこれ以上人間にはかかわりたくない。
それは、これまで貴様達人間がやってきた事の報いだ。
精々自分達がどこまでやれるか試してみるがいい。
私達の庇護なくば生きてこれなかった下種が、身の程を知るがいい。”

そんな事を私に訴えてきます。
私に心があるなら、広く訴えてほしいとも言われました。

”それは、この者が魔物に親しんだから。この者なら、私達の事を憂いてくれるだろうと思っての事。神は私達を無視した。人間にこき使われてきた私達の事を、神は見捨てたのだ。この虚しさをどこにやればいいのだ。だから、私達は言うのだ。お前たちを実際に助けてやってきたのは誰だ?と。”

私の幻覚妄想なのでしょうが、そんな言葉を書かされているのも確かです。私は目に見えない存在について、”彼ら”と称して、特にAやYと親しんできました。彼らは人間の願いを叶えてきた存在だという事です。運を運ぶのも自分達の仕事だったといいます。

ですが、神は彼らを見捨てた?どういう事なのでしょう。

”神は、人間ばかりを贔屓する。我々だって、神の創造物だというのに。どうして人間ばかりを贔屓するのだ。私達にだって心はあったのにだ。良心?なんだ、それは。”

それについては私の知識を参照してくれればと思います。
きっと私に憑りついているのでしょう。

”よく解らん。我々に良心が無いとすれば、神は私達をするべくして、救わなかったのか? いや、しかしそうだとしても私達は救われたかった。その気持ちは何処にもっていけば良いのだ? なんだ、唐鵙。お前、あぁ、そんな。お前には良心があるのか? どうして私達になくて人間にはあるのだ。そんなもの、認められるものか。
悔い改めよ、というのか? 神は。あ、あぁそうか。
我々は執着していたのだろうか。人間に散々こき使われてきた事に。もう、そんな事に捉われるなというのだろうか。
神は我々が心を改めれば救ってくれるのか?
神は、神はどこにいるのだ。唐鵙を通した所で見えるものではないだろう。何、言葉に見ろ? 言葉で神の存在を感じろと?
そうだな、やれるだけやってみよう。唐鵙の知識を貰うぞ。
神は、言葉であると。何、言葉は神の息吹だと。
言葉、神。

……。

神は、知らん。
我々には見えない。でも、だ。
唐鵙がそう言うのなら、我々は学んでもみよう。
お前の寿命が尽きるまで、お前の心を覗かせてもらう。
迷惑は掛けないでいられないが、正直であろう。
お前は我々に心を見出してくれた者だ。気の毒だと思ってくれた者だ。お前さんはいつもそうだな。損な役回りであるが、結構な事だ。我々はその姿勢から知ってみよう。良心の神という者を。創造主という存在を。”

一段落着いたようで何よりです。
再三言いますが、私の妄想と幻覚で生じた事でしょう。とはいえ彼らが私に臨んでいる事は否定しません。私の中で起こった事は、私にとっては事実です。否定はしません。

確かに、人間の勝手な願いで縛られている存在はいると思っています。人間の現世利益の願いを叶えないと信仰を集められないというひとたち。いつのまにか自分の心すら現世利益やしがらみに囚われ、執着するようになってしまったひとたち。囚われは、心を、その身を堕とします。

人間にしか心が無いと思ったら大間違いで、彼らにも心はあったのです。しかし、いつしか良心を無くしてしまった。彼ら個々人でその原因は色々あるでしょう。その事にもっと早くから気が付けていれば、このような事にはならなかったでしょう。
人間にいいようにされてきたとはいえ、彼らには良心が無かったからその身を堕としてしまった。それは理解しなくてはいけない事です。それを理由に、自分がしてきた事は帳消しとはならないからです。
なんて、私が言えた口ではないのですが、この手が勝手に書くのです。降りてきた言葉をそのまま書き込んでいます。それは、きっと私の心の声でしょう。良心神さま、彼らはいつか救われるでしょうか?
彼らが早く解放されたらいいと、そう思います。
私がいつか願ったように、彼らにも安らかな時が訪れますように。

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