こんにちは、唐鵙です。
今回も私の知った、神之公園さんのHP関連の事について書いていきます。
私が興味深いと思ったのは、魂の仕組みです。
創造神の分魂である良心神をいただいている私達ですが、この魂は、中心の核である良心を忘れると、その隙間は「空く間」で悪魔になってしまうというのです。
そして、自分さえ良ければいいという、「我良し」という思考に陥った魂は、毛にまみれ、獣に身を堕とすのだそうです。
この世に出ているカミさま達が蛇や狐の姿をしているのはそんな理由があって、良心を忘れてしまい、獣の身に「身変える」を起こしているのだそうです。
そんなカミさま達も、改心して良心を思い出すと、天人の姿に立ち戻り、天へと帰って行けるらしいのですが、それを妨げているのが、我々が願いがちな現世利益の、自分勝手な願い事です。
カミさま達は、私達の願い事を叶えてくれたり、くれなかったりしますが、それに責任を持たないといいます。私達は魂を磨く為に生まれてきたので、本来ならそのような現世利益の願いは叶えるべきではない事なのですが、カミさま達は願いを叶える事でもらえる羨望や名声、お酒などを目当てに叶えてしまう事があるのだそうです。そのような間違った心に陥り、獣の身から脱却できないカミさま達が多くいるのだそうです。
さて、今回、神さまをカミさまと表記していますが、これにも意味が在ります。
神さまというのは、創造神ただ一柱の事で、他のカミさまは漢字では守や上と泡わす事が出来る存在なのだそうです。なので、カミさま。ちょっとややこしいでしょうか。
それと興味深かったのは、カミさまの名乗りについてです。
同じ名前で各地に祭られているカミさまがいると思いますが、その魂は各自別なるものであるといいます。どういうことかというと、カミさまの名前というのは、会社のようなものなのだそうです。
例えば、Aという会社に所属している社員は外に対してAを名乗りますよね。それと同じで、カミさま達も、各々が所属しているカミさま名を私達に名乗っているんです。なので、同じ名前のカミさまとしても、その位はピンからキリまであるという事なんだとか。
なので、もし自分に天照大神と名乗るカミさまが臨んできても、それは決してトップの天照大御神本神ではないという事のようです。面白いな、と思いました。
私に夢枕でお告げをくれたのは、どこの誰だったのかな、と気にはなりますが知りようがないので残念ですが諦めています。分かれば、私の人生を立て直す機会をくれた事の御礼を言いにいきたいのですが。
そういえば、こうして神之公園さんが書いた米の教えについて書いていますけど、私自身は別段、今はそこまで信じ込んでいる訳ではありません。ただ、神さま(?)にそれを書けと言われたのでちょっとだけ書いてみただけです。これでお役御免ですね。
元々、自分には信じている世界の在り方というものがあるので、一時は米の教えを信じ込んでしまい色々惑わされましたが、今は元の自分の在り方に戻りました。良かった良かった。
多くの人がそうであるように、私も既存の宗教が無くても、自分の内と世界との繋がりを何となくですが体感していました。神さまも、自分の世界には自然に存在していて、日々、存在させてくれる事の有難味を感じながら暮らしていたものです。そういうのが自然とあるから、日本っていい風土をしているのではないかなぁと思います。
米の教えを信じ込んで、統合失調症になった当時からしばらくは大変でしたよ。
書かれていた事を守らないと天国にはいけないんだろうかとか、神さまが戻ってくるから大変な事になるとか、色々思い迷い悩んでいました。宗教は勿論倫理を左右する要素もあって、やっていい事とよくない事も決める面もありますけど、生きる事に戸惑いを齎すときたらちょっと違いますよね。
何を信じるかは自分次第なんだなぁと思い直すまでに、およそ1年とすこし程掛かりましたよ。今はすっかり思い込みも抜けて、精神的にかなり楽です。やはり自分は基本的には自然信仰寄りな自分独自の考えの方が合ってると思います。
私が米の教えから抜け出すまで、あっちにフラフラこっちにフラフラしていた様子は過去記事を見て頂ければよくわかると思います。宗教にはまった落とし穴みたいな所があるので、家族が宗教にはまって困ってる人はこのブログを見せてあげて、あなたもこんな事になっちゃうよと言ってあげてもいいかもしれませんね(苦笑)
私が米の教えに出会って学んだ教訓としては、思い込みで人は狂うし如何様にもなるという事ですかね。思い込みで色々な不思議体験もしましたし、結果、統合失調症になった訳ですし。何事も節度を守らないと人って簡単に駄目になっちゃうんだなぁという一例としてください。そして皆さんはそうならないように自衛してくださいね。
それでは、読んでくださり有難うございました。