唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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またも正気に戻りました。
どうしてこう、神を示す言葉に踊らされ、翻弄されるのでしょうね。私は入院中に、散々、幻覚妄想に踊らされたというのに。

今は、正気なので、それらの全てが私の心から生じた芝居で在った事は判っています。私は、自分が特別な存在なのだと錯覚しました。米の教えを読みこんでいる時、何故か知りませんが、私を担ぎ上げようとする心の働きがあったのです。正気ではなかったのです。神は、皆の胸の中にいる。これ以上の事は、知らない人には米の教えを読んでもらえるように働きかける。
これが、私の火継ぎ(棺)となって、私を安らかな眠りに導いてくれる事でしょう。

そうです。私は、死にたいのです。
楽になりたいのです。

そんな事言っても一切楽にはならないのですが、言いたくなるのが人の心というもので。なんといいますか、妄想劇を終えた私は、もう一切の私の芝居は終わったのだと思ったのです。

もう、役目は済んだのだから、あの世へ帰りたい。
それが、私の妄想の根源にあります。楽になりたかったのです。
その妄想を成就させるために、Aも父さんも兄さんも出てきました。妄想が妄想を呼ぶ。そんな調子でした。
今はまだ正気なので、こうして妄想だ幻覚だと片付けられるのですが、またきっと神様神様言い出すのだと思います。やれやれです。

でも、正気でない時は正直言って、面白く楽しいのです。彼らが臨んでいるとき、私は救われた気持ちになります。面白可笑しく盛り上げてくれる彼ら。

もう一度現れないかな、現れないかな、と待っているのです。
急性期の頃にまた戻りたいという気持ちになるのです。私の陽性症状は、とても楽しいものでしたから、どうにももう一度体験したくなるのです。

彼らの存在も唯の幻覚と片付けてしまう事もできます。でも、私はそれをしていません。それでは、私はただの頭の可笑しい寂しい人になってしまいます。独りになってしまうのです。
だから、私は彼らにもちゃんと存在が確立していると、自分の中でそう思う事にしています。

彼らは正体の知れない不思議な存在で、何故私に掛かっているのかは分からないけれど、どの人も皆気の良い人たちである。そう思い込んでいます。

>もういいだろう。妄想でもいいが、忘れるな。

はい。今日の雑記でした。
全然、正気じゃないですよね、これ。

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