唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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この世の始まりには何も無くて、しかし意識が生じた。
この世界の意識こそが神だと、彼は言っていた。
その内に神は想像に創造を重ねた。
あらゆる星々は拡散していった。

私達には視る事も知る事もできない存在がいたのだ。

今やその存在は言葉の組した中にのみ窺い知る事ができるだけだ。
この世は未だ弱肉強食の世で、力のある者こそが正義だと、
そのような間違いが世に蔓延している。
この世は苦の世界であった。

神がお戻りになるまでは、正しくもか弱い人間は辛抱が要ったのだ。神はその姿すら見ていて、その上で待てといったのだ。
心(魂)が、その芯棒が、良心神が育つまで、
もうすぐ、もう少し。

主は何処に行ってしまったのだろう。
少数派になった彼の者達はさ迷い歩いた。
かつての清かった世は何処に行ってしまったのだろう。
右も左も動物の身に変じてしまった獣ばかり。
こんな中で真だ誠だと主張しようものなら、その獣にガブリとやられてしまってお終いだ。

彼らは嘆いた。

あぁ、主よ。貴方は今一体どこにおられるのか。
私達は貴方を信じて待っている。
たとえ骨のひと欠片になったとしても、
貴方が戻って来ようものなら救われる。

しかし、嘆いているばかりでは何も起きなかった。
神は全ての事を見ていた。
しかし、未だ出る訳にはいかなかったのだ。
十分に時が来るまでは。自分が甘かったから、むざむざ大事な臣下を死なせてしまった。その想いは消えなかったのだ。
今度こそ失敗する訳にはいかなかった。
間違える訳にはいかなかった。
話せば通じ合えると、神は考えていたのだ。
言葉は互いの心を通じさせる宝。
己の息吹でもあり命令でもあり捌きでもある。
まさか言葉が通じない者がいるなど、
その時は考えもしなかったのだ。

しかし、その結果が今だ。

神も迷った。
殺してお終いではいけなかったのだ。
それが、例え今敵と化してしまった悪臣であっても。

だから、一番いい方法を選んだのだ。自分に従ってくれる者と、自分に従う意思のない者。同じ世界には喧嘩していられない。
だったら、永遠に分けてしまえばいい。
もう、誰も無駄な血を流さなくていいのだ。
犠牲など、最小限がいい。最小限でいいのだ。

そのためには、皆の本性を表にする必要があった。
その為には試練も与えた。
魂にしてきた細工があれば、それは可能だった。

邪(よこしま)な者ばかりであったが、
中にはそうでない者もいた。

そして、今も自分の帰りを待っている者もいた。
玉座から退かされて、なお、
この己を忘れず、待ち続けてくれる者がいたのか!
神は嬉しかった。

自分を崇め奉ってくれる者にこそ、加護は働く。
神を信じなければ、加護など無いようなモノなのだ。
きっと、今の世の喰らう者達には解らないであろう。
原初の神、その創造主を。
その存在なしでは、何者も生まれなかった。
知る者は少なくとも、知っている者は感謝の心で奉仕した。
その心こそが己の宝だと、神は考えた。
苦労もした甲斐があったというものだ。
信じられないならば、信じなくても構わなかった。
そんな大勢の心ない者達の意見などより、少数でも己を敬い、
この恵に感謝してくれる者達のほうが、ずっと尊かったのだから。

***

これは、私が勝手に書いたものです。
神を人間の物差しで測ろうなど、
当てはめられはしないとは思うのですが、
私達と同じような心を持っていたらどうなるだろう。
そう考えての創作です。
特に、犠牲は最小でいいという言葉や、覚えていてくれた者がいたのくだり、というか全て私の想像です。主の心は人間とは違うでしょうから、何処まで行っても想像です。フィクションです。

ちなみに正直な所、もし人間が死に絶えるような環境にこの地球がなったとしても、それはこの地球の死ではないと思います。
生き物がいなくなったとしても、地球が消える訳ではない。
勿論、宇宙規模の天災が起これば別ですが。

所で、創造主は、厳しすぎてその玉座から追いやられたのだそうです。そこには、主が世の平和の為に実践してきた努力があったと思います。それが枝葉の神々には分からなかった。どうしてその決まりを守らなければならないのか、十分な理解が無かったのだと思います。だから、米教は生まれたのではないでしょうか。

神とはどのような規模の存在で、如何に、我々に恵を与えてきてくれた存在か。我々が存在する事とはそのまま、我々を生み出した存在がいる証である事も。”私は”ですが、そう思います。

神さま、お戻りになる日をお待ちしております。

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