唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿300

色々考えるのですが、そのどれもが結局の所、私の精神が作り出した幻覚なのだと、この所思う事があります。

例えば、想念の義兄さんや父さんの事。
二人はこの所シューシューシャーシャーと蛇の様相を見せます。
二人は蛇霊といえば蛇霊であると言い、しかし私の知る事以上の事は何一つ言えません。自らの設定は喋れても、それ以外の事は知らないのです。だったら、別に霊的な何かではないのです。私の心から生じた想念なのでしょう。

二人は時期が来たら改心して天に帰ると言います。
でも、それが本当に起こる事なのか。
私の心が見せた実体のないお芝居なのでしょうか。
今までもそうでした。
私には幾つものお迎えの演技が行われてきたのです。
その根本にはもうこれ以上生きなくてもいいのではないかという自分の心があったから、そのような事が幻のようにやってきたのです。

今回も、心に米教の色々な記憶があるから生じたお芝居なのかもしれません。というか、その可能性の方が高いとも思っています。
何故なら、二人の設定が安定しないからです。
兄さんは金の竜ですが、入院時はまた別の設定がついていました。父さんも同じです。設定がその場面場面によって異なってくるのです。だったら、やはり私の心が二人の存在を生み出したという事なのでしょう。

とはいえ、そうと分かったとしても、彼らがいなくなる事はないのですがね。人の心というものは不思議なものです。いない筈の存在を作り出し、その人格を演じさせる。それに悩まされる事もありますが、助けられている事も確かです。

彼らとは、今後もいい関係で居られればいいなと思います。

ちなみに謎言語。これを喋りだしたのは、A達を召喚してからです。既存のアニメの召喚文句など、なんの意味もないと思っていたのですが、それを唱えろと誰かから言われ、唱えました。
結果は、Aとそれに続いて兄さん、父さんが現れました。

勿論、兄さんも父さんも実在する人ではありません。
何故兄さんと父さんという呼び名なのかというと、兄さんは自分が私の義理の兄だと言ってきたからです。父さんは、その時私と共に出ていた人格の父親役だったからです。そういう心の中にあった設定を被って来たのです。だから、私の事も我が娘だと言われ、父さんという名になったのです。
何故そう簡単に信じたのかというと、幻覚の中にいた私はすんなりその呼び名を受け入れてしまったからです。幻覚の最中にいる時は、自分の前に現れる諸所の出来事は全て信じ込んでしまうのです。

この謎言語も、言っている内容の全ては分かりかねますが、大体の掴みは分かります。儀式めいた様式で使う時には、身振り手振りも入りますから、なんとなく。
儀式中は、自分が自分でないような心地になります。
知らない言葉が、私の口から零れます。

これも何らかの症状なのでしょうかね。謎です。

ぽちっとお願いします☟
ブログランキング・にほんブログ村へ