唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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こんばんは、こんにちは、おはようございます。今日も無事に日々を過ごしていらっしゃいますか?僕らは相変わらず時期を待っている所です。

ルームウォーカーで運動不足をちょっとマシにして、龍神カードでちょっとした話題作りが出来るように練習を少しずつして、それでどうなるかはアレですけど。でも、まぁ一日中寝て過ごした病院内での生活よりは有意義でしょう。

いや、病院では病院なりに学ぶことも多かったと思いますけれど、でもねぇ、あれでは中々気が休まらなくて頭がどうにか……はもうなってましたね。それ以上に衝動性をコントロールできなくなっていた事でしょうから。

そうです、私、暴力をふるいはしませんでしたが、そうしたい状態に珍しくなったんです。というのも、こんな事がありました。後で仲良くなった方から聞いた話なんですけれどね。

仮に患者1としましょう。
患者1は、こう言っていたそうです。「唐鵙に、自分のキャラクターを取られた」「いつもニコニコしていて気持ちが悪い」まぁ、もっと稚拙な言い方だと思うんですけどね、そんな言葉を使うのは余り好きではないので、要約で。

キャラクター、は、私自身その頃は色々な思念の様な者が来ていたので、否定はできません。でも、そんな事知りませんでした。少なくとも、私は誰かにそんな経緯でキャラクターを創り出しただとか、アイデアを貰った、なんて事もなければ話しも行動もしていません。そもそも、患者1と面識も有りませんでしたからね。酷い言いがかりでした。それはきっと、患者1の被害妄想だったんじゃないでしょうか。

と、次に気持ち悪い呼びに関して。今となってはどうでも良いですけど、当時は傷つきましたよ。私は胸の中に引きこもってから泣いて騒ぎました。
表に出ていたのは誰でしたっけ、そうだ、あの時はSでしたね。

Sというのは、その頃一番近くに控えていた人格です。Yとの意識の統合を失調している間に新たに生じた、いうなれば私の影のような存在でした。私とは反対に行動的で、勢いが良くて、思い切りの良い、そんな存在でした。

そして、たしかですけど、Sと他の面々は大変怒っていました。周りの患者にも怒気を拭き当てていたくらいです。彼らは病棟中を駆けずり回って怒りを表していました。
私はその怒ってくれた様子に少しだけ慰められました。
後になっては、患者1は私に目も合わせられないくらいの小心者だったと判明したので、怒ってはいましたが、もう関わり合いに成るのは止めようと考えて、その患者1の担当医に事情を話して距離を離してもらいました。

音楽プレーヤーを購入して持ち込んだ時期だったので、スルーするのは余計に楽に成りました。音楽ってやっぱり凄いですよね。それでも、怒気はまだ収まらず残っていました。食事の時間は移動があるのですが、その順番待ちの列に、あの患者1が混ざるので、うっとおしいたらありゃしない。一緒になろうものなら、次何か言われたらぶん殴らせてもらうからな、とSに宣告されました。

Sの行動力は凄かったです。いえ、殴ってはいませんよ。暴力は嫌いなので。
患者1の担当医に言えと友人からアドバイスを貰ったら、図ったようにいいタイミングで担当医が診察を受け付けていて、順番待ちなし。これは好機とすぐに滑り込みました。

あの時は、とにかく自分達が自分達の事を抑えられる事は無いなと分っていたので、真に迫る調子でSが説明を買って出てくれました。とにかく、自分達は暴力沙汰は避けたいから、と。一所懸命な様子が伝わったのか、すぐに対応してもらえました。今でこそ笑い話にはなりましたが、その渦中在った時は、それはもう感情の大嵐の中にいました。まぁ、私は胸の中に押し込められて現実を喪失させていたんですけどね。自分が出ていない時でも、一応その光景や心の機敏は伝わってくるのです。意識喪失をすることはないので、あの時はSと自分の意識の繋がりと解離された部分の両方の感覚を味わう様になっていました。

今は、今はそうですね、どうでしょう。
自動車の運転席に唐鵙が、補助席に私IsとS達身近な人格が座っているようなイメージです。あくまでも身体の主導権を握っているのは唐鵙。横から茶々を入れたりすのは私達、別の人格です。

いやはや、入院中の状態と比べると、少しは一般の人々のような現実感を感じられるようになったと思います。それでもまだまだなんですけどね。
何かというと、たまに、自分の周りに居るのが何者なのか、どんな存在なのか不安になる時があるのです。いえ、メインの人格に関しては良いのです。でも、他の名も知らぬ存在に関して、もしかしてこれは霊障から起こっている事で、私は動物霊に憑依されているからこんな精神が分裂したようになっているのではないか?と悪い方に妄想を膨らませてしまうのです。

人格といえば、母は己の一部という見方で話を聞いてくれるのですが、霊障かもという話しになると不安がってあまり話しに応じて貰えません。
それも、当然かな、とも思うんですけどね。
少なくとも、Isと私唐鵙は霊障ではと心配しています。

でも、今書いていて、この文を読み直していたら少し持ち直してきました。どんな存在かは判らないけれど、Yがいつも傍で見守ってくれている事は確かだったんだと。であれば、Yに不安がる事なんてありません。

信頼されてる、羨ましい、と他の人格は言います。こんな事をいうのなら、もしかしてその界隈で云われる思念体やネットタルパのような思念の塊なのでは?と思わなくはないのです。人は常に思念を飛ばしているもの。それが知らないうちに形を伴って私の元に流れてきた、と思えなくもないような。そうでもないような。

謎は、謎だから美しいんだぜ。/S

と言われましても、ですかね。
知りたいという欲はどうにも手放しがたいものです。

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