唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

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今回は、私達が生きていて良かったと思う事について書きましょう。何気ない事ですが、それが積み重なって今になります。希望に溢れた明日がまたやって来ると思えば、今ここで生きている事にも意味が付こうというモノ。

まず、好きな音楽を聞けます。悲しい曲、哀愁の有る曲、生きる事を訴えた歌、楽しい歌。歌、歌、歌。聞いていると、気分までその曲の通りに乗せられます。そうしていると、つまらないと嘆く気持ちは何処かに鳴りを潜めて、歌を聞いて生きていられる今を幸せに過ごす事ができます。

苦しい時には歌います。楽しい時にも歌います。彼らも、私の肉体を使って歌います。
歌は良いモノですよね。こう、心に染み渡っていくの感覚が好きです。普段が心が動かない人間ですから、特に。歌を聞いている時は、自分にも心があると思わせて貰えて、幸せなんです。

好きな歌は、何度も繰り返し聞きます。何度も、何度も。満足するまで聞きます。持っているスピーカーが良い音を提供してくれるのです。それで、窓を閉め切って、心持ち大きい音で聞きます。最高の気分です。これがあるから生きていてよかったと思えるというものです。

勿論、理由は他にもありますとも。
次に食べる事。美味しい物はそれだけで幸せです。食べて暮らせば太りますのでセーブはしなくてはいけないですけれど。でも、美味しい物を食べるのは至福ですね。温かい食べ物が好きです。出来立ての魚の煮物だとか、ホカホカのお米とお味噌汁。お新香で箸休め。香りが立つ様子をイメージすると、こう、食欲が出ますね。

あとは、お風呂やフカフカの布団。大事な家族とのやり取り、見えない彼らとの団らん。一人机に向かう時間。絵を描く事。私が私で居られる事。彼らが彼らであった幸せ。私を慕ってくれる存在。色々あります。幸せが沢山あります。そして、自分が持っている幸せを数えてみると、こう、神様に「ありがとう」と言いたくなるのです。ありがとう、神さま。私は今、こんなにも幸せです。

数えましょう。自分が既に持っている幸せの数を。今のままでも十分に幸せだった事に気が付くと、全ての人間とは言いませんけれど、ありふれた中にある幸せに気が付くと思います。

今を肯定できると、何故かこれまであった大変な事すら受け止められる思考になるのです。私のあくまで私の場合ですが。結構、楽観的なのが私です。色々捻くれてもいますけれど、根が楽観的なのでしょう。そのおかげで、今も幸せです。

そう、これ以上の幸せも追い求めてくれ、と言われました。どうにも現状で満足してしまう私です。見えない彼らは、これ以上私を幸せにしてどうするというのでしょう。

過去にYに言われたんです。
「こんなに幸せで良いのかと思うくらいに幸せにしてみせるから、覚悟してね」と。
私はその時、自分に言い聞かせた幸せに浸っていました。彼らからしたら、十分に幸せと思っていない様に見えたのでしょうね。確かにそれは合っていました。でも、もう十分満足できる幸せを彼らは用意してくれました。

今、とても幸せでいます。

彼らからしたら、まだまだこれからという所でしょうか。これから社会復帰を果たして、仕事で充実した日々を過ごし、何れ心を許せる伴侶を得て、また生きていく。それがまだこれからある事と、そう言う事でしょうか。

でしたら、自分もその気で人生渡るとしましょうか。もうじき、あと一月ほどで手帳がやって来ます。社会復帰、順調に果たしていけたらいいなと思います。社会人として胸を張って暮らせたら、私の劣等感ともさよならができそうです。友達との付き合いも十数年ぶりに再会して、何かサークルにでも通いましょう。そして、心が躍る事をするのです。

未来への希望を胸に抱くと、人間幸せな気持ちになるものですね。これも、生きていてよかったと思える事でしょうか。

とにかく、今日も私は幸せに一日を送る事が出来ました。好きな音楽と見えない彼らに囲まれて、好きな事をして、美味しいものを食べて、好きな家族と顔を合わせて。

それでは、皆さんにも幸いが訪れますように。
唐鵙でした。

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