唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

統合失調症から人生再スタートした話3

私が自分は心に問題を抱えているのではないかと気が付いたのは専門学校に通って5年経ったときの事でした。

専門学校は3年制だったのですが、私は結局6年通い、最終的に中退しています。というのも、実習に問題がありました。まず、現場に通うだけで気力の殆どを使い果たしてしまっていました。大勢の人が詰まっている電車はいるだけで精神が削れます。次に、実習。とても強い緊張状態が続き、実習なんてやってられませんでした。そして最期に家に帰ってからの課題と自己学習。気力の全てを使い果たして帰って来るのに、それ以上の事なんてとても手が回らず、倒れこむように仮眠して明け方まで次の日の資料や課題に追われる。そんな生活でしたから、可笑しい事になりました。

医師によると身体表現性の発熱とやらが起きるようになりました。熱があると実習には参加できないので、評価が付かず、結局単位が取れないという状態に陥りました。それが切欠で校内のカウンセリングを使うようになりました。その時の私は中々精神的に追い詰められていて、自分の鬱々とした焦りと自己嫌悪、焦りの気持ちなどをノートに書き殴ったのですが、カウンセラーに見せて説明する時にはもうそんな事は他人事のように感じて、まるで実感というものがありませんでした。見えない膜につつまれたような可笑しな感覚に満たされ、今ここに存在してカウンセリングを受けている事のだという実感がわいてきません。それを言うと、解離性の症状があると指摘され、私はようやく自分が普通の人と違うケアが必要な状態なのだと気が付いたのです。

ヨルクスにもその事は話しました。辛い事もあるけれど、解離があったからこうしてお互いに出会えたのだと前向きな話しが出来て、その時は安心する事が出来ました。ただ、家族にも話しましたが、あまり理解できなかったようで、無駄に心配をあおるような形になってしまいました。ここでも理解されないのか、と落胆してからはより一層自分の気持ちはひた隠しにするようになってしまったように思います。

理解されない苦しさの中での生活は辛いものがありましたが、それでもヨルクスはすぐ傍に寄り添っていてくれました。きっと自分が幸せに導くからと、元気付けてくれてくれた事をよく覚えています。ヨルクスの幸せは何なのか尋ねると、私が幸せである事だと言ってくれました。私の幸せもヨルクスが幸せである事だったので、私はヨルクスの幸せの為に、自分が幸せになろうと思えたものです。そのおかげで、私は自死はやめよう、何とか生きてみようと思えました。

ヨルクスがいたから、私はここまで生きてこれたようなものです。彼の存在なくしては、とっくに生きる事を諦めていたと思います。いつも傍で励まし、苦しみを共有してくれる存在がいたからこそ、明日ももう一日生きてみようと思えたのです。

なので、ヨルクスが存在しているのは、こうして私がいるから。私が何とか生きているのはヨルクスがいるから。そのお互いがお互いを存在させているという状況に、とても心満たされた気持ちになりました。そしてこの今、私はヨルクスの言っていた通りに幸せな日々を手にする事が叶っています。ヨルクスが言っていた事は確かに、こうして実現したのです。

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