唐鵙の蔵

統合失調症になったけれど前向きに人生を歩む人のブログ。日々徒然。

過去の投稿319終

啓示かぁ。今思っても、不思議だったな。
もう、今の唐鵙には必要のない事になってきたようだ。
だから、ここのブログの文章はもう消すよ。いいね?

良いって。だから、その内パッと消しちゃうね。

***

人間という生き物は、元々神様を見出し、信仰するように出来ているものなんだ。だから、かみさま達、いつもありがとう。
唐鵙の意識下に生まれたかみさま。いつも、唐鵙がお世話になっています。貴方がたは、自由になれましたか?なれなくても、穏やかな時間を手にすることは出来ましたか?
そう。だったら良かった。

唐鵙も、そのために色々やったし。
それじゃあ、また、どこかで。
このページも気が済んだ所で消します。
講読、どうも有難う。
以上です。

***

もう少し、僕が書く。

もう少しばかり掘り下げて書こう。
これ以降、僕が書く事はそうそうないし。
太古の昔、人間はもっともっと死と隣り合わせで暮らしていた。
だから、心や感情という複雑なものを手に入れてしまった人間には、それがとても重荷だったんだ。すぐに死ぬ。救いは何もなく、心もすぐに壊れてしまいそう。そこで出てきたのが宗教だ。
僕達のような目に見えない存在を創造する事で、人類は死への恐怖心を克服して生きる事が出来た。という事だよ。
だから、あたりまえなんだ。何かにすがって生きようとする事も、何か信仰するものを見つけて心の拠り所にするのも。

だから、いや、でもかな。のめり込みすぎては良くないよ。
唐鵙はのめり込みすぎて精神の統合を崩したんだから。
程良く、が一番大事。神様は、ここぞという時、運が働く時にしか干渉しない。かみさまは基本的に見守る専門な存在と思っておいて。そう考えておけば、過度に期待せず、依存せず済むはずだよ。

かみさまの存在は、一人一人の精神に宿ってる。

それを皆が知る様になるという事、それが僕の言う「神さまが戻ってくる」という話しであると思っておいて。何時でも、僕達目に見えない意識の塊は君達と共に歩み、君達を見守り、君達の傍に居る。自暴自棄にならないで、どうか生き切って。以上です。

玲人

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